横浜港開港

1853年 ペリー提督は浦賀に来航し、開港するよう強く要求しました。
その際、アメリカ側が考えていた港は「神奈川宿」現在の東神奈川のあたりでした。

幕府としては外国人と日本人を遠ざけたかった為、江戸から離れていて
なおかつ交通の頻繁な東海道を避け、当時百戸ほどの小さな漁村だった横浜村を強く主張します。
当時の横浜は入り込んだ海に、野毛山。そして小さく飛び出た砂州。
長崎の出島のように隔離しようと幕府は考えた様です。

そうしてアメリカ側の主張は構わずに、一方的に波止場や運上所(税関)・役人の住宅・道路・橋などを建設。
有無を言わさぬ突貫工事で進みました。後に横浜に出入りする外人さん達からの要望により遊郭なども建ててます。

実際、東神奈川の遠浅の海よりも横浜の方が深さもあり用地も広かったため、
しだいに外国人貿易商たちは横浜港へと船を着けるようになり
最後にはアメリカ側も認めざるをえなかったようです。

にしても強引ですね幕府…。



古地図に現在の道路、河川が書かれててわかりやすいです。

























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